浄土真宗の真実信心

浄土真宗の真実信心を求めて
〜そして巡り会った親鸞会〜

生死の苦海ほとりなし
久しく沈める我等をば
弥陀弘誓の船のみぞ
乗せて必ず渡しける
父が必死に伝えた親鸞聖人のお言葉を通して、是非知って頂きたいことを記します。

墓石に刻まれた言葉

 生死の苦海ほとりなし
 久しく沈める我等をば
 弥陀弘誓の船のみぞ
 乗せて必ず渡しける

 我が家の墓には、このような歌が刻まれています。

 刻んだのは、私の今は亡き父でありました。私はてっきり、父の作った歌だとばかり思っておりましたが、最近になって、これは親鸞聖人のお言葉であることが分かり、驚いています。

 父は、自分の子孫に向かって「この文を胸に刻め」と、加えて墓石に刻んでいました。それほど、浄土真宗の教えに真摯であった人でありました。


墓石に刻まれた言葉

 

 それだけではありません、父は「仏法を聞け、寺へ行って真剣に仏法を聞け」と口やかましく子供たちに教え、また何十冊にも及ぶノートに、自分の信仰を書き残しておりました。それらをまとめてタイプし、1つの冊子にしていました。

 親戚や父の知人など、縁ある人に父は配っていましたが、もう昭和40年代の話です。いまや残っているものはあまりないでしょう。

 私は時々、この父の書き残した信仰の叫びを紐解きます。そこには、親鸞聖人の教えに生かされ、阿弥陀仏に救われた不思議な喜びの声で埋め尽くされています。これを私や親戚の者で味わうだけでは、非常にもったいないことと思い、この度インターネットに公開し、私の父との思い出と共に、浄土真宗の真実信心について皆さんに知って頂くご縁になればと思っています。
 
 まず始めに、父の書き残した文章の冒頭を紹介しましょう。

 御仏様の御教には、色々数多くありますが、その中でも最もすぐれた浄土真宗のお家であります御先祖からのお伝えであります。
 他の宗教は、むずかしいけれど、みやすいみやすいこの浄土真宗、あなたや私のように、なんにも知らない馬鹿者までも、容易にお救い下さいますので、農業しながらいつも喜ばせていただける有り難い御教であります。
 仏の御教には、大道、小道、枝道、廻り道と多くある、其の中の一番大きい大道でありますので、その大道を進めば、まちがいなしに、御仏様の、あの御国へ参らせて頂かれます。
 そして、御仏様と同体のお悟りを開かせて頂かれますよ。
 この大道は一寸も私の目には見えない。あきめくら、これから先の事は一寸も分らぬ 。御仏様に丸すがりして、この私どもが、進ませて頂く大道でありますよ。その大道はいかなる智者でも、学者でも、人間の智恵では分らないよ。分かっているのは御仏様がただ御一仏、その御仏様は阿弥陀如来様である。ほかに知る者はさらになし。
 その如来様は、私やあなたのような大馬鹿者がしょうきゃくと、久遠劫の昔より、迷い迷いしこの者を、追って追って追いまわし、あちらへ逃げ、こちらへかくれする者を、とうとう人間世界まで追い出して、あなたのお慈悲のお心、お救いのお心、智恵と慈悲とのおかたまりの親様が、我等が、地獄へ地獄へと落ちて行く姿を見ては居られないと、火の中、水の中、毒の中を、御修業あらせられ四十八願をお立てになって、あの御仏のお心を、我等凡夫にただやるぞ、思案はいらんぞ、ただもらえ、ただより有り難い事はない、逃げつかくれつするやつを、追いまわしては、この法はたやすいたやすいそのままを救うてやるぞ、そのままそのままと呼んで下さる、その呼声が、ああとびっくり、私の心の中へ宿って下さるのでありますよ。
 不思議なお心が宿って下されば、何の心配もなくなるよ。
 御仏様の、あの有り難き御法を、聞きたい心が、有り難い心と変わります。御縁に合って、一生懸命、聞き取りたい心が、聞けば聞くほど、有り難い嬉しい嬉しいもったいないの喜びの心一つになりますよ。
 一人して思い出してはお念仏お念仏、雑念の心は、すたってしまいます。寝ても起きても、南無阿弥陀仏ばかりです。

 父は明治生まれで、学校も小学校しかでておらず、農業一筋で生きてきた人ですから、文章は決して上手ではありません。

 しかし、文面からにじみ出る父の思いは、本当に心の底から溢れ出している言葉だと思わずにおれないです。

 父の文章には、繰り返し書かれてあることがあります。

  1. 我々は何も分からず地獄へと落ち行く馬鹿者である。
  2. それを救う阿弥陀如来がまします。その御仏の智慧をまるもらいできる。
  3. 弥陀の「そのまま救う」の呼び声が聞こえた一念「ああとびっくり」宿善開発の驚天動地の体験がある。
  4. 思い出してはお念仏の他はない。

 それは最初の2ページを読んで頂けば分かる通りですが、このことが言葉を変えながら何度も書かれてありますから、読んでいて「またか」と思う方もあるでしょう。

 しかし、そこは父も分かっているようで、次のように補記してあります。

 私はこれから先、一つの事を何回も書きますが、阿弥陀さまのお救いの心は、南無阿弥陀仏が、たった一つです故、何回も書きます。一つでも違ったことを書いたならそれこそ大変。地獄行き地獄行き。

 父が信心を書き残す時は、一言でも違ったことを書いてはならないという悲壮な思いが伝わって来る一文です。これは、決して遊びでありません。父が若い時から寺に通い、必死に求めた浄土真宗の、真剣な信仰の叫びです。それを、よく念頭に置いて頂きたいと思います。

 次>父の求道と「宝の玉」


もくじ

はじめに
墓石に刻まれた言葉
父の求道と「宝の玉」
「信」の話を求めて訪ね歩き
姉の信仰と死(1)
姉の信仰と死(2)
そして父にも病魔が襲う
寺の法話に参詣するものの
親鸞会との出会い
親鸞聖人のお言葉