浄土真宗の真実信心を求めて
〜そして巡り会った親鸞会〜
久しく沈める我等をば
弥陀弘誓の船のみぞ
乗せて必ず渡しける
「信」の話を求めて訪ね歩き
その後、父はことあるごとに「仏法を聞きなさい、一時も早く聞きなさい」と家族や周囲の人に喜び喜び話すようになりました。話をしない時や、農作業をしている時は、常にぶつぶつと念仏を称えているのです。私の兄弟の中には、それをけむたく思う人もありましたが、私は「これは何かがある」と不思議に思ったものです。
そして父は、自分の湧き出る思いをノートに書き記し始めました。それはもう大変な量で、昼は農作業の合間に、夜は遅くまでノートを書き続けました。
現在のように、しっかりとした電灯がない時代です。今から思えば、大変暗い中で書いていましたから、目がだんだんただれてきて、母が何度も止めましたが、父は言うことを聞かず書き続けていました。
母があまりに強く止めたので、一度だけ父が怒って鉛筆をノートに突き立てたことがありましたが、今から思えば、それほど「子供や子孫に親鸞聖人の教えを残したい」と必死だったのだと思います。

父が私に書き残してくれたノートはかなりの数になる
それぞれの子供宛に残しているので、総数はどれほどになるか知れない
寺の説教でも、信心の話になれば、父はすっと立ち上がり「皆さん、ここは大事なところですから、真剣に聞いてくださいよ」と、法話中に参詣者に訴えることもあったと聞きます。
信を頂く前は、往生は不定であるが、信を頂いたら往生は一定である。
信前は、未来は闇である。信後は、行き先が明らかな身となる。地獄行きと聞いても恐ろしくはない。ただ信楽一つ、お慈悲の呼び声一つがたより場です。南無阿弥陀仏がたより場です。人間は、わずかな命です。花にたとえて朝顔の如し、朝咲いてすぐにしおれる朝顔も、実に立派な実を結ぶ。我も負けずに、わずかな命にて南無阿弥陀仏の実を結べ。二度と今世に来ることはできん。早く早く、急げや急げや。二度と乗られぬ弘誓の船だ、この船に乗り遅れたら、またもや昔のぐり浜だ。聞こうで、聞こうで、あのお慈悲。弥陀の願力につつまれつつも、頂かずに帰る阿呆者。間違いないのが弥陀の願力、お救いだ。
更に、近くの寺でなされる世間話のような法話では物足りなくなったようで、信仰の深い話をしてくれる人や寺があると噂を聞けば、そこまで出かけるようになりました。それもそうでしょう、父ほど深い信仰体験を語る人は周囲にはいませんでしたから。
出歩くといっても、歩いて行ける距離だけではありません。時にはバスに乗って1時間2時間もかけて県境を越え、自分の信心を書き連ねたノートを持って出かけていました。そんな父の姿を見て「お父ちゃん、恥ずかしいからやめてよ」と言ったものでしたが、父は止めようとはしませんでした。自分の話を理解してくれる同行・知識を求めていたのだと思います。
もくじ
はじめに
墓石に刻まれた言葉
父の求道と「宝の玉」
「信」の話を求めて訪ね歩き
姉の信仰と死(1)
姉の信仰と死(2)
そして父にも病魔が襲う
寺の法話に参詣するものの
親鸞会との出会い
親鸞聖人のお言葉