浄土真宗の真実信心

浄土真宗の真実信心を求めて
〜そして巡り会った親鸞会〜

生死の苦海ほとりなし
久しく沈める我等をば
弥陀弘誓の船のみぞ
乗せて必ず渡しける
父が必死に伝えた親鸞聖人のお言葉を通して、是非知って頂きたいことを記します。

寺の法話に参詣するものの……

 私は高校卒業と共に地元を離れて、九州の専門学校へ通うようになりましたが、父と姉の姿が忘れられず、あれだけ必死になって勧めた浄土真宗の教えは聞かなければならないと、近くの寺で法話があれば、度々参詣しました。

 結婚して大阪に住むようになりましたが、寺参りは続けました。時には幼い娘を抱いて法話へ駆けつけました。若い人はなかなかいませんから、私の姿はかなり目立っていました。

 ところが、寺でなされる説教は、いつもテレビや政治の話ばかりです。信心の話があるかと思えば、「念仏を称えておれば、死んだら極楽、死んだら仏ですよ」と説きます。私は、どうしても腑に落ちませんでした。そもそも、父が1日でも1時間でも早く真剣に聞きなさいと勧めていたのは、こんな程度の話ではありません。本当に誰でも念仏称えるだけで救われるのならば、「今死ねない」と不安に思う心は一体何なのか。父の話していた宿善開発とはどうなったことを言うのか。

 如来のお慈悲が聞こえたら、すなわちそれが信心じゃ。我の自力が廃ります。その時が宿善開発の場所、開悟の時節で金剛の信心の定まる時ぞ。
 本気になって聞けよ読めよ、本気になって頂かねば、私の住家には参られませんよ。私は何年先でも待って居りますお浄土で。寺に参りて大話をしたり、いねむり半分で聴聞するぐらいな事では何十年お寺参りをしても駄目です。御仏のお悟りはなかなか聞けませんぞ。そんなにかるがるしい法ではありません。本気で聴聞せよ。急ぐのは魂の行き場に安心させてもらう事です。あの草木でも光を受けて芽を出すではないか。我々は、人間に生まれ来てあの有り難き広大無辺のお光を受けながら眠っていては駄目ですよ。早く驚きの芽を出しましょう。

 本気で聞けと言われても、寺の話は本気とはほど遠く、驚くことも全くありません。法話にしげく足を運ぶものの、父が口をすっぱくして言っていた「後生の一大事」「平生業成」「信の一念」という言葉すら出てきません。もちろん、墓石に刻まれた「生死の苦海」も「弥陀弘誓」の言葉も聞けません。

「寺に宝があるから、必ずつかんで帰りなさいよ」と言われた宝など、一体どこにあるのかと思いました。


荒れ果てた寺の本堂
父もここで真剣な聞法をしていたであろうに

 

 どれだけ聞いても何も分からず、次第にやりきれなくなり、遂には友人の勧めで実践倫理の集会に参加するようにもなりました。父や姉が必死になって勧めた浄土真宗が一番の宗教だと思ってはおりましたが、寺で聞いていることではあまりに空しかったのです。

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もくじ

はじめに
墓石に刻まれた言葉
父の求道と「宝の玉」
「信」の話を求めて訪ね歩き
姉の信仰と死(1)
姉の信仰と死(2)
そして父にも病魔が襲う
寺の法話に参詣するものの
親鸞会との出会い
親鸞聖人のお言葉