浄土真宗の真実信心

浄土真宗の真実信心を求めて
〜そして巡り会った親鸞会〜

生死の苦海ほとりなし
久しく沈める我等をば
弥陀弘誓の船のみぞ
乗せて必ず渡しける
父が必死に伝えた親鸞聖人のお言葉を通して、是非知って頂きたいことを記します。

親鸞会の法話

 親鸞会のご法話で驚いたのは、親鸞聖人、蓮如上人のご文を出して、それについて丁寧に分かりやすく高森先生が解説してくださることです。このような形は、長く寺に通いましたが、ほとんどありませんでした。

 布教師の考えや思いを聞いても、残るものはありません。また、本願寺の学者さんが歎異鈔について解説した本などを読んでも、難しく書いてあって分かりにくく「読者に伝えたい」の気持ちも伝わってきません。

 ところが、高森先生は全く違いました。正信偈のご文でも、一行一行とても丁寧にご解説くださり「初めての人でも分かってもらいたい」のお気持ちがビンビン伝わってまいります。また、どんな演題であろうとも、黒板に縦と横の線を書かれて、要である「真実の信心」「信心決定」「人生の目的」についてお話くださります。まさに、「浄土真宗の教えを聞く目的は何なのか、忘れてはならないぞ、しっかり聞いてくれ」の、強い強いお気持ちの現れと思います。

 臨終まで家族に「必死に、真剣になって聞けよ」と勧めてくれた父の姿と、高森先生のお姿が、私には重なって見えるのです。こんな感動は他にはありません。

 子供や子供や、早く早く目をさましなさいよ。御仏様のお慈悲を頂く事だぞよ。十効の昔から、夜昼、私等を呼んで呼んで呼びづめに呼んで下さる、あの有り難いお心を頂かせてもらいましょうぞ。先のべにしておくのではありません。体の達者な内、心にくるいのない内に聞きなさいよ。一時も早く頂けよ。死は一時も待ちません。一寸先は、闇の夜だ。急げや急げや法の道。法を聞くには先短く取りて、一生懸命になって、今聞かねば今に息が切れるかもしれないと思い急ぎなさいよ急ぎなさいよ。必ず宿善開発の時がきますで、其れまで聞くことだぞよ。どうか本気になって聞いてくれ、これが聞かれぬ者はとても駄目だ。来世も親子で暮らしましょう。頼み合掌。

 今、寺では「念仏の声を子や孫に」と標語をかかげて、念仏相続を訴えていますが、父のような必死さなど、どこにもありません。親鸞聖人の教えを伝えなければならない場所では、聖人のお言葉は聞けず、仏法が伝わらないのを世の中のせいにして、伝える努力をしようとはしていません。それは、父の遺言に動かされ、十何年と寺を渡り歩いていたからこそ分かったことです。

「いつ死ぬとも分からぬ命だからこそ、急いで真剣に聴聞しなさい、必ず救われる」と必死に説法する方が、一体どこにあるでしょう。
  寺で真実信心の話はなされているでしょうか。建て直すだの、屋根瓦を吹き替えるだの、門徒への割当は相変わらずでも説教することはありません。


自宅の近くには、住職不在のまま建て直された寺がある
ここで再び法話がなされるのは何時のことになるだろう……

 

 教えが説かれない寺は無くてもいい。父や姉が残したかったのは、寺という建物ではありません、親鸞聖人の教えであり、真実信心まことということでありました。

 どうか、寺には目を覚まして、後生の一大事を、まことの信心を説いていただきたいと思います。ただ、そうなる時を待っておれるほど、のんびりしている時間はありません。
  今、親鸞聖人のお言葉を通して、真実信心まことを高森顕徹先生がお説きくださっています。縁あって、親族からも、親鸞会でお聞かせ頂く人が何人も現れ、大変嬉しく思います。
  どうかみなさん、高森先生から真剣に聞かせて頂こうではありませんか。
  必ず必ず、宿善開発の時が来る。大悲の願船に乗せて頂く時が来る。

生死の苦海ほとりなし
久しく沈める私が
今は人間世界に生れ来て
あら不思議
大悲の願船に乗せられて
楽しき航海のまっただ中だ
弥陀の御国へ着くは
いつやら
南無阿弥陀仏で待って居る

おわり 


もくじ

はじめに
墓石に刻まれた言葉
父の求道と「宝の玉」
「信」の話を求めて訪ね歩き
姉の信仰と死(1)
姉の信仰と死(2)
そして父にも病魔が襲う
寺の法話に参詣するものの
親鸞会との出会い
親鸞聖人のお言葉


ご感想など、メールはこちら